おはようございます。
いしざき遊太です。
3月5日に行われる三浦国際市民マラソンまであと2週間に迫ってきました…
約4年ぶりの開催となる本マラソン、今回の種目としては
- ハーフマラソン 21.0975km (三浦海岸~城ヶ島折返しコース)
- 5km(三浦海岸道路折返しコース)
- キッズビーチラン(800m)
の3種目があり、私はUターンしてきた勢いでハーフに申し込みました。
20㎞なんて距離を走るのはいつぶりでしょうか…
なにしろ身長の伸びが止まった高校生の頃と比べると体重は20㎏くらい増加しています。
(筋肉による増加と言い張る)
心肺機能よりも、膝の古傷が悪化しないかが不安です…
一度本番までに、実際のコースを走ってみようと思います。
(というか今日これから走ってみる予定です)
これができるのは地元民の特権ですよね。
さて表題の件、引き続き大学の話シリーズですみません。
今回と次回で完結しようと思っています。
今日は以前の投稿の続き、障がい者福祉での学びについてです。
“障がい者福祉に取り組む積極的な意義は何か”
この答えを見出したかった私は、元厚生官僚、元宮城県知事の浅野史郎先生が指導教授である『障害福祉研究会』に飛び込んだのでした。
障がい福祉を取り巻く過去と現状といった理論を浅野先生が面白く、丁寧に講義してくださいました。
座学だけではなく、学生同士の活発なディスカッションや、実際に福祉施設に足を運んでみるフィールドワークもありました。
浅野先生の痛快なお話が本当に興味深いのはもちろんなのですが、これまで同世代で障がい者福祉について真面目に語り合える機会がなかったので、研究会の曜日は大学に行くのがとても楽しみだった記憶があります。
先生から学んだことはあまりにも多く、ここではとても書ききれません。
ですから私が知りたかった“障がい者福祉に取り組む意義”という問いに対する一つの答えをざっくりと述べます。
それはずばり、
“障がいを持った人が暮らしやすい社会は、すべての人にとって暮らしやすい社会でもある”
という着眼点です。
つまり、障がい者福祉は障がいを持った人のためだけに存在するのではなく、すべての人のためにある、ということです。
国家レベルで考えると規模が大きすぎてわかりにくくなるので、ひとつの地域や会社で考えるとわかりやすいと思います。
障がいを持った人でも暮らしやすい地域や、障がいを持った人でも働きやすい会社って、障がいを持っていない人にとっても心地いい環境だと思いませんか。
ここは障がいというカテゴリだけの話ではなく、それぞれの性別や年齢など、あらゆる福祉を考える上での共通項になると思います。
つまるところ、多様性を認め合い、尊重し合い、配慮し合える環境。
その環境整備という役割が福祉の本質といえるのではないでしょうか。
そこではバリアフリーやユニバーサルデザインといったハード面からのアプローチも必要ですが、一人ひとりの意識(ソフト面)の高まりがあってこそ成り立つ概念だと思います。
ノーマライゼーションという福祉用語があります。
障がい者をどうこうするのではなく、社会全体をノーマル化(ノーマライゼーション)していくことで、障害がある人もない人も同じ社会で暮らしやすくするという概念です。
そもそも障がいの有無という線引きは必ずしも0と1というように線引きできるとは限りません。
その境界はスペクトラムであり、あいまいなものです。
障がい者と“いわゆる”健常者を明確に分けることは意外と難しいのです。
(政策としてどうしても区分けを設けなければいけない部分もありますが)
自分が無意識的に体感的に、小さいころからこのようなことを感じ取っていたのでしょう。
浅野先生の教えは、本当にスッと心の中に入ってきて、自分の中のモヤモヤへの答えのようなものが、どんどん言語化されていきました。
もう一つ印象的だったのが、研究会の授業の一環で、重度心身障がい者の施設に見学に行った時の体験です。
重度心身障がいとは、重度の身体障がいと重度の知的障がいが重複している状態を指します。
私は幼いころから知的障がいを持った方とは接していましたが、重度心身障がいの方と実際に会ったことはありませんでした。
車いすにすら乗ることができない寝たきりの状態で、食事も排泄もままならず、呼吸機能が著しく弱いことなどもあり、とにかく常時の介護を必要とする方たちです。
そんな方たちを目の当たりにして、タブーだと思いながらも内心で湧き出てしまった疑問が、
「この人たちは幸せなんだろうか」
「いったいこの人たちの生きる意味はなんなんだろう」
というものでした。
うまく意思表示ができないだけではなく、表情や言動を一生懸命読み取ろうとしても、彼らが何を考え、何を思っているのかがわからなかったのです。
『人権があるから、生きる意味がある』
もちろん突き詰めるとそこにもたどり着くのですが、どうも論理が飛躍してしまっている気がするというか、概念的すぎるというか。
実感として腑に落ちませんでした。
でも、実際に重度心身障がい者と関わって、研究会のメンバーと意見交換をして、自分の中で考え抜いて、わかったことがあります。
それは、“幸せの尺度も、生きる意味も、その本人にしかわからない”という結論です。
例えばある重度心身障がい者にとっては、音楽に合わせて体の一部でリズムを刻むことができるようになることが、成長の一つであり、喜びでもあります。
毎日介護をしているご家族やスタッフからすると、嬉しさや悲しさといった感情がわずかながらの所作でわかったりするといいます。
多くの人からしたらなんでもないようなことに、本当に少しずつながら成長を感じる部分があるそうなのです。
自分の中の尺度でその人の幸せや生きる意味を考えようとしていること自体が、いかにおこがましいことか気付かされました。
そもそも他人の生きる意味を考えられるほど、自分自身の生きる意味に向き合えているのか。
何度も何度も立ち返りながら、やっぱり最後は「本人目線に立つこと」が障がい者福祉の本質だという結論に行き着くのです。
大学の障がい者福祉での学びをまとめると、
“障がいを持った人が暮らしやすい社会は、すべての人にとって暮らしやすい社会でもある”
という障がい福祉を推進していく上でのポジティブな視座。
そして
“本人目線に立つこと”の重要性。
の2点が大きい部分になるでしょうか。
どちらもこう書いてみると当たり前のことのようにも感じるのですが、ちゃんと考え抜かなければ本質には近づけないポイントだと思います。
おそらく浅野先生の導きが無ければ、こうやって言語化することはできなかったでしょう。
そんなことも学んだ大学生活でした。
念のため確認しておきますが、私は障がい者福祉の専門家ではありませんし、それに準じた資格も持っていません。
上で述べたようなことも、浅野先生の教えをベースにしたあくまで私なりの思いや考えにすぎませんので、ご了承ください。
もし誤解している点やもっと深めたほうがいい点があれば、ぜひ教えてください。
※ちなみに浅野先生が一貫しておっしゃっていたことが、『福祉の非専門家の巻き込み』の重要性でした。
令和5年4月、神奈川県で『神奈川県当事者目線の障害福祉推進条例』が施行されました。
本条例でも障がいを持った方の“当事者目線”が大いに尊重されており、その制定プロセスから県民への共有方法まで、しっかりと考えられていることが伝わってくるものです。
障がい者福祉をめぐる環境も少しずつではありますが、いい方向に向かっている気がします。
浅野先生は私が在学中の2013年に定年退職で退官されました。
当時の学びについては感謝してもしきれません。
この場をお借りして御礼申し上げます。
いただいた視座を三浦市にも活かしていくことで、恩返しとさせていただきたいと思います。
余談になりますが、浅野先生の研究会の門を叩いてからまず読んでみようと購入したのが、先生の著書である『豊かな福祉社会への助走(ぶどう社)』でした。
自宅で読み終わって母にも読んでもらおうと手渡したところ、母が自分の本棚から全く同じ本を出してきて、ふたりで笑ってしまった記憶があります。
母と浅野先生に面識はありませんが、彼女もまた、私と同じ浅野チルドレンのひとりだったのです。
あえて地域のど真ん中で障がい者の自立支援を行っている母の思いがよくわかって、あらためて敬意を覚えたものです。
障がいの有無だけでなく、いろいろな立場の人が住みやすい地域。
三浦もそんなステキな地域にしていけたらいいですね。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
大学の話は、次がラストになると思います。
石﨑 遊太
【政治を志した経緯としてのまとめ追記】
次の記事は大学の話~出会いと進路~になります!