浅野史郎先生との再会

こんにちは。
いしざき遊太です。

大学の先輩であり、当時大変お世話になっていたみねぎし宗弘さんからお誘いをいただき、急遽みらクルTVのWebセミナーに参加しました。

テーマは元宮城県知事の浅野史郎さんによる
「今、障害福祉を考える」
というもの。
第3弾目の企画ということでした。

厚生官僚として、宮城県知事として、そして大学教授として、数々の功績を残されてきた浅野史郎さん。

実は大学で所属していた研究会(いわゆるゼミ)の教授として、私の人生に大きな影響を与えてくださった人物です。

大学を卒業してからはなかなかお会いできませんでしたが、その後のご活躍も耳にしておりました。
今回、Web上ではありましたが約8年ぶりの再会。

久々に聞く“浅野節”はそのままに、主に当時の手に汗握る県知事選挙のお話を拝聴し、あっという間の2時間となりました。

実際の配信は既にアップロードされており、どなたでもご覧いただけます。
よろしければこちらからどうぞ。

さて、大学入学までの話は前回の投稿で述べましたが、実はSFCに入ったら絶対に話したいと思っていた教授のひとりが、浅野先生でした。

理由は、私が小さい頃から抱いていたモヤモヤを先生にぶつけたかったからです。

私の母は長年、三浦市において障がいをもった方々の自立支援に携わっています。

そのため私も小さい頃から障がいをもった方々(利用者さん)との関わりが自然とあり、可愛がってもらっていました。

利用者さんたちの活動拠点は、私の通っていた中学校の通学路にありました。

実際に利用者さんたちを見て、心無いひとことを私に言ってくる友人もいました。

その心無いひとことというのが、利用者さんに対する言葉ではなく、

「遊太のお母さんはいつも大変だね」

「お母さんはあんな人たちの世話をしてえらいね」

そんな、ある意味私や母を労っての言葉なのです。

仲の良い利用者さんたちを馬鹿にするような言葉を投げかけられていたら、私も怒っていたでしょう。

でも、悪意のないそういった言い方をされたときに、当時の私はどういう反応をしていいのかがわかりませんでした。

障がいを持った人は、“別世界の人”。

そんなある種の分断を、当時から痛感していました。

こうした経験から、高校生になって政治を学ぼうと決意したとき、障がい者の福祉政策も勉強したいと思っていたのです。

そこでまずぶち当たった壁が、障がい者福祉を行う大義のようなものについて、自分の中で納得のいく説明ができないことでした。

人権や平等といった少しぼんやりとした概念だけでは、

「経済的な合理性を考えたら、障がい者福祉は優先度が低い」

そんなことを平然と言ってくる人たちに、論理的に反論ができないと感じていました。

“施し”や“情け”といった側面だけではなく、もっとポジティブな観点から障がい者福祉に取り組む意義のようなものを明確にしかったんだと思います。

そんなモヤモヤを抱えていた中で偶然出会ったのが、SFCの教授であった浅野先生だったのです。

2004年に宮城県知事として、みやぎ知的障害者施設解体宣言を打ち出し、「障害福祉はライフワーク」と豪語していた先生。

入学前にその存在や功績を知り、この気持ちをぶつけられるのはこの方しかいない、そう確信していました。

人気だった先生の授業(地方自治論)になんとか潜りこんで、授業後に先生のもとへ駆けつけ、勇気を振り絞って話しかけことを覚えています。

先生はにんまりした表情で一言、

「うちの研究会で待ってるよ」

当時1年生だった私に、そう言ってくださいました。

あの時勇気を振り絞っていなかったら、今の私はなかったかもしれません。

そこからの具体的な学びについては、また別の機会に。


最近日が長くなっていることを実感しますが、寒さは増しているような気がします。

お体にお気をつけてお過ごしください。

お付き合いいただき、ありがとうございました。

石﨑遊太

【政治を志した経緯としてのまとめ追記】

次の記事は大学の話~国政から地方政治へ~になります!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次(クリックで飛べます)