大学の話~国政から地方政治へ~

こんにちは。
いしざき遊太です。

昨日、三浦市の子育て施策のひとつである「赤ちゃん訪問」があり、スタッフさんが自宅に来てくださいました。

時間をたっぷり使って妻の話に耳を傾けていただき、私たちの不安や疑問が解消できて本当に有意義な時間でした。

地域の事情にお詳しい、かつ乳幼児ケアの専門家である地元のスタッフさん(保健士等)が訪問してくれるのは、とてもありがたいことですね。

おかげさまで、我が子も順調に育っています。

その寝顔を見るたび、頑張って働かなければと思う今日この頃です。

さて、以前の記事で中途半端になってしまった大学での学びについて、続きをお話します。

念願だった慶應義塾大学総合政策学部(SFC)に入学し、自分の学びたかったことが思う存分学べることにワクワクしていた私は、

  • 興味関心のある講義を片っ端から履修or聴講
  • 新入生向けの政策立案コンテスト(政策コーカス)へのエントリー
  • 政治についての熟議や国家公務員試験合格を目的としたサークルへの加入

など、立派な“意識高い系”の学生の仲間入りを果たしました。

SFCの素晴らしいところは、意識が高いことを冷めた目で見下したりバカにしたりせず、むしろお互いリスペクトし合う風土があるところです。
(むしろ何かに没頭していたり尖っていないと、なんだか後ろめたくなる雰囲気すらありました)

しかも、それぞれが異なる志向や価値観、バックグラウンドを持っているので、とにかく交流していて面白いのです。

三浦の実家から大学までの通学時間(片道約2時間)はとにかくインプットの時間ということで、書籍を読み漁ったりアイディアを整理したり。
大学についたら授業(グループワークやディスカッション型のものが多数)やサークルの仲間たちとの議論などでアウトプット。
学生ながら忙しく、でも充実した毎日を送っていました。

既に一人前に働きながら地域や社会に貢献している地元の友人がたくさんいる中、奨学金という名の借金を抱えながら通っているとはいえ、後ろめたい気持ちも当然ありました。
地元近くのバイト先の飲食店で、お客さんから「学歴があるだけで世間知らずのおぼっちゃん」などと揶揄されることも少なくありませんでした。

でも、今できることは大学での学びを最大化させることだと自分に言い聞かせながら、必死に勉強していました。

さて、ここからが今回の本題になりますが、そんな学びの中で確信したことが、

「政治を変えるなら国ではなく地方から」

という方向性でした。

もちろん、現状では国からでなければ変えられない仕組みも数多くあります。
国が定めるべき一定の法規制やルールがあることは否定しません。

しかし、地域それぞれで状況が異なるにもかかわらず、国が画一的に設定している不合理な部分がたくさんあることに気付きます。

それでも、自分の属する地域や地方公共団体の行政機関よりも、国のほうが信用できると感じがちな国民性があるんですよね。
正直私も、そう思う人間の一人でした。

日本の選挙の投票率の低さが叫ばれていますが、実は衆院選・参院選といった国政選挙よりも、都道府県や市町村の首長、地方議会の選挙の投票率の低下が著しいのです。
例)2021年の衆院選は55.93%であるのに対し、2019年の市町村議会議員選挙は45.16%
※それぞれの実際のデータはコチラをご参照ください。(公益財団法人明るい選挙推進協会より)


投票率の向上に必要な要素についてはいろいろな考えを持っていますが、ひとつ間違いないのは、選挙のPR強化や若者の意識改革といった表面的でチープな方向性では、到底達成できるものではないということです。

本質的には、地方自治の強化(地方政府への政治参画)、ひいては“それぞれの地域での市民協働のレベルアップ”というプロセスが必須であると考えています。

小学校の統廃合の問題、災害が起こった時の避難場所の問題、高齢者の移動手段の問題、などなど。

自分たちの生活に直結するような重要な課題を、その地域の住民と行政で決めるべきなのは明らかです。

そういった身近なテーマについてすら自分の意思決定ができないような状態で、専門家でも意見が分かれるような国防や金融政策、社会保障といった大きな政策についての判断が行えるでしょうか。

あくまで投票率の向上というのはよりよい政治体制のための手段でしかありませんが、地方選挙の投票率が上がらない限りは、国政選挙の投票率も上がらないでしょう。
つまり、地方自治のレベルが上がらない限りは、国の政治のレベルも上がらないと考えます。

もちろん、ここは数々の不祥事で信頼を落としてきた全国の地方議員の責任も大きいと思います。
しかし、そんな政治家を選んできた(もしくは選ぶことを放棄した)のは、まぎれもなく私たち国民なのです。

今の国政の体たらくはある意味、当然の帰結といえるのではないでしょうか。

“国づくりは地方から、そして市民協働から”

入学後の約1年間の学びでこの結論にたどり着いた私は、大学での学びに加えて、自然と三浦の市政についても考えるようになりました。

市内で行われるワークショップなどに参加したりもしました。

(過去の市の総合計画を読んでいてたまたま見つけたのですが、赤丸の金髪青年が当時の私です…)
第4次三浦市総合計画(2013年版)みうらまちづくりプラン18ページより

以後、当初の問題意識であった教育政策だけではなく、地方自治や地方分権に重点を置いて学ぶようになります。

結果的に専攻とし、卒論まで書き上げた学問領域は片岡正昭先生が指導教授である「地方政府の政策イノヴェーション」についてでした。

このあたりを書き始めると止まらなくなりそうなので、また別の機会に。


三浦海岸桜まつりが明日からはじまりますね。

三浦に戻ってきてはじめて迎えるイベントなので、たくさんの観光客の方が来てくれることを願いつつ、私も河津桜を楽しみたいと思います。

皆さんにとってよい週末になりますように。

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

石﨑遊太

【政治を志した経緯としてのまとめ追記】

次の記事は大学の話~研究会~になります!

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