“よそ者”と“うち者”の狭間で

おはようございます。
いしざき遊太です。

突然ですが、皆さんは今お住まいの地域から見たとき、“よそ者”ですか?“うち者”ですか?
(よそ者の対義語としてしっくりくる言葉が思い浮かばなかったので、勝手にうち者と呼ばせてもらいます)

ちなみに私は、三浦という土地で考えたときに、どちらかといえば前者の立場になります。

両者の区別をハッキリさせて対立を煽るような意図は毛頭ないのですが、あえて今回はその誤解を恐れず書きます。

なぜこんなことをお聞きしたのかと言いますと、三浦出身の同志(現在は群馬県嬬恋村で地域おこし協力隊の一員として活動中)の素敵な記事に感化されて、自分の中でモヤモヤしていた表題のテーマについて、あらためて向き合いたいと思ったからです。


私の以下の拙文は読まなくても構いませんので、その分彼の記事をぜひご覧になってみてください。
コチラからどうぞ。
本当に胸が熱くなる内容です。


さて、お付き合いいただける方には少しばかり私自身のお話を。

プロフィールにも記載していますが、三浦市に縁もゆかりもなかった我が家が三浦に移住してきたのは、私がまだ2歳のころ。

ですから私の中でのアイデンティティは完全に“みうらっこ”で、よく横須賀に対抗心?を燃やしていたほどです。

とはいえ、家族単位で見れば我が家は完全に“よそ者”になります。

私がこどもの頃であっても、“うち者”の親御さん同士の会話ではその人の出自を表す屋号が平気で飛び交っていたようです。

当時、友達のおばあちゃんに

「おめっち(お前さん)どこのもんだ?」

と聞かれて、屋号を問われていることが分からず、

「石﨑です!」

と元気に答えていたという笑い話があります。

そもそも私の家に屋号はありませんし、その存在に気付いたのは実は大学生になってからのことでした。

出自がバリバリ三浦の友達などは、三浦に親戚や親同士が同級生のような深い関係の人がたくさんいたり、地元のお祭りなどに主体的に参加していたり…
ぼんやりと羨ましいなと思うことがありました。

こんなに三浦が好きなのに、どこか入り込めないもどかしさのような感情が、くすぶっていたんだと思います。

別に私個人が、よそ者であることで冷遇されたりしたわけではないんです。

でもやっぱり、小さい頃の自分にとっては、三浦へのアイデンティティにどこか劣等感のようなものもあって…

それでも本当に楽しいと思えるこども時代を過ごせたのは、ひとえに地元の友人やご近所さんたちに恵まれたからだと思います。

いつしか三浦への愛情やアイデンティティは、純度100%のものとなりました。


…前置きが長くなってしまいました。

地方創生が叫ばれるようになって久しいですが、まちおこしに必要な人材として良く挙げられるのが「よそ者、若者、バカ者」の存在です。

その標語の真偽についてはさておき、私が三浦のまちづくりについて考えるようになって問題意識として感じたことのひとつが、「よそ者とうち者の間にある隔たり」でした。

長年三浦に貢献してこられた年配の方が、意外にも「うちはこう見えてよそ者だから…」などと、地の人間(うち者)に変に気を遣っていたりして、違和感を覚えたものです。

聞くと50年以上も前になると、自治体の集まりなどでは「よそ者だから」という理由で発言すら許されないようなこともあったそうなのです。(あえてどこの地域かは書きません)

当時とは時代や考え方も大きく変わったとは思いますが、少なからずそんな雰囲気の残っている地域もまだあるような気がします。

もちろん、これまでその地域を支えてきた先人たちや、その血を継ぐ人々へのリスペクトは、絶対に必要だと思います。

でも出自によって正しいことを正しいと言えないような空気感は、さすがに前時代的すぎるのではないでしょうか。

もし今でもそんな萎縮が起こっているのであれば、それはその地域にとっての弊害でしかありません。

また、移住してきた人ほど三浦の魅力を知りたい、広めたい、高めたいと意欲的な一方で、地の人間ほど消極的な傾向を感じます。
(私の主観であり、あくまで傾向です。うち者でも地域の魅力発進に意欲的な方が数多くいらっしゃることはわかっているつもりです)

市民活動にしろ、観光誘致にしろ、コミュニティづくりにしろ、歴史研究にしろ、頑張るよそ者と、それを冷めた目で見るうち者の構図。
そんな雰囲気、なんとなく感じたことはありませんでしょうか。

たぶんこれは、三浦に限った話ではなく、どの地域にもあるごくごく自然な流れなんだと思います。

その土地が気に入って移住してきたよそ者と、生まれながらにしてそこに住んでいるうち者に、意識のギャップがあるのは当然のことですよね。

しかしその意識の隔たりを超えて、よりよい地域のために両者が手を取り合えたら、どんなに素晴らしいことでしょうか。

よそ者はうち者が思いもしなかった、新しい着眼点やアイディア、モチベーションを持ち込むことができます。
うち者はよそ者が知らない地域の歴史や風習を伝えることができますし、先祖代々その土地を受け継いできた誇りや使命感もあるでしょう。

地域のイノベーションには、両者の要素が必要であると考えています。

ちなみに、私の妻のご実家は先祖代々、三浦に住んでいらした家系(屋号持ち)です。
幼馴染であり、同じ地域で育った私たち夫婦の間にも、三浦での経験や認識に相違があるのが本当に興味深いところです。

『変わるべきを変え、守るべきを守る』

僭越ではありますがそんなことを意識しながら、よそ者とうち者、ある種どちらの側面も持った私が、その橋渡し役を担えたらなと思います。

いつも以上にとりとめのない話になってしまいましたが、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

最後に、嬬恋村で地域おこしの最前線に立つ同志にエールを込めて。

石﨑遊太

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