こんにちは。
石﨑遊太です。
『人口戦略会議』が4月24日に公開した《令和6年・地方自治体「持続可能性」分析レポート》において、三浦市は“消滅可能性自治体”とされた744市町村のうちの一つであることが明らかになりました。
神奈川県内では他に中井町、山北町、箱根町、真鶴町、湯河原町の5町が“消滅可能性自治体”に分類され、三浦市は県内の市としては唯一、同カテゴリに属することになりました。
2014年に『日本創生会議』が発表した同様のレポートにおいても“消滅可能自治体”と名指しされた三浦市にとっては、ある意味不名誉な結果となったことは事実だと思います。
私も25日に新聞でこの内容が明らかとなった瞬間から、たくさんの市民の方に意見を求められました。
思うところは色々とあるものの、立ち話では伝えきれないだけでなく自分の中で整理できていない部分もあり、今回ブログで簡単にではありますが考察してみたいと思い立った次第です。
三浦市が“消滅可能性自治体”として選ばれたという事実だけではなくて、その背景やこれからについて考えるための一助になれば幸いです。
何をもって“消滅可能性自治体”と決められるのか
まずもって今回の報道について一喜一憂する前に、その出典元である《令和6年・地方自治体「持続可能性」分析レポート》をしっかり読み込んだ方はどのくらいいらっしゃるのでしょうか。
私がお話をいただいた感触だと、失礼ながらほとんどいらっしゃらないようにお見受けしました。
そこで、実際のレポートに基づきながら、以下に事実関係を整理していきます。
“消滅可能性自治体”の定義がどうなっているのかについては非常に明快で、レポートから引用すれば
若年女性人口が 2020 年から 2050 年までの 30 年間で 50%以上減少する自治体
を指すとのこと。
ここでいう若年女性とは、20~39 歳の女性人口を指し、使用するデータの出典は国立社会保障・人口問題研究所の『日本の地域別将来推計人口(令和5年推計)』になります。
ちなみに三浦市の2050年時点での若年女性人口の減少率(移動想定)は62.2%であり、今回設定された“消滅可能性自治体”としてのボーダー(=50%)を10ポイント以上回っていることがわかります。
※全市町村の数値に関しては分析レポートの13ページ以降に掲載されています。
2014年のレポートとの違いは何か
基本的な設定や考え方としては、2014年に発表されたレポートを踏襲した形となるようです。
当時のレポートとしては、
若年女性人口が 2010 年から 2040 年までの 30 年間で 50%以上のスピードで急減する地域
が“消滅可能性自治体”として設定されました。
10年前のレポートですから、今回のものと比べて基準年が10年早まっているだけですね。
ちなみに当時も三浦市は同カテゴリに分類されましたが、若年女性人口の減少率はさらに4.4ポイント高まってしまっているため、“消滅可能性自治体”から脱却できていないというだけではなくて、数値として悪化しているのも事実です。
なお、今回のレポートでは新たに『封鎖人口』を用いた分析も加えられました。
特定の地域において他地域との人口移動がなく、その地域の人口は出生数と死亡数(=自然増減)によってのみ変動するものと仮定した場合の人口。すなわち、転出数と転入数の差による『社会増減』の要素をゼロにした人口。
この分析を加えることで、それぞれの自治体が抱える課題が何なのか、すなわち人口の『自然減対策』が必要なのか『社会減対策』が必要なのか(もしくは両方が必要なのか)を明らかにしたいようです。
これらの要素をマトリクスにしたものが下図になります。
“消滅可能性自治体”を抽出しただけではなく、A~Dまでの4類型を設定することでより重層的な分析となっているのが2014年レポートとの大きな違いです。
『ブラックホール型自治体』の意味が一見ピンとこないのですが、要は
現実の若年女性人口率(移動仮定)の減少は相対的に低いものの、実態としては他の地域からの転入に依存している自治体
ということで、まさに“若年女性を吸い込むブラックホールのような自治体”というイメージで考えるとわかりやすいですね。
三浦市は移動仮定での減少率が▼62.2%、封鎖人口での減少率が▼43.3%となっており、上記マトリクス図でいくとC-②に属することになります。
一例として川崎市は移動仮定での減少率は▼7%なのですが、封鎖人口で見ると減少率は▼45.1%となり、三浦市より数値としては悪かったりします。
このように、実は地方だけでなく都市部の高齢化も非常に大きな問題だったりするのですが、この議論はここでは割愛します。
(本レポートの東京23区の封鎖人口を見てみると興味深いです)
誰が作り、何を目的としたレポートなのか
報道を一見しただけではわからない部分がここであり、読者の皆様には知っておいてほしいところでもあります。
今回のレポートのキーマンになるのは、増田寛也氏と言って差し支えないかと思います。
なぜなら増田氏は2014年に初めて“消滅可能性自治体”としての分析を出した日本創生会議の座長であり、今回レポートを出した人口戦略会議においても彼が副座長を務めているからです。
2013年末から2014年にかけて増田氏によって作成・発表された一連の文書は通称『増田レポート』とも呼ばれるほどで、その中には日本創生会議の人口減少問題検討分科会から出された提言「ストップ少子化・地方元気戦略」も含まれています。
増田氏はキャリア官僚として活躍したのち、岩手県知事、総務大臣を歴任。
当時、私の恩師であり宮城県知事を務められていた浅野史郎氏とともに『改革派知事』として住民から高い支持率を誇っていました。
現在は日本郵政株式会社取締役兼代表執行役社長となっています。
増田氏の存在を知らずに過去や今回のレポート概要を眺めると、一見“消滅しそうな地方はとっとと切り捨てて、中央集権を推し進めたい”ような類の人が書いたのかと錯覚しますが、実際にはそんな単純な話でないことに気付きます。
何を隠そう、増田氏は地方分権論者であり、総務大臣の任期中も地方の生の声を中央に吸い上げることに腐心していたというのです。
私もこのレポートの内容と増田氏の経歴やイデオロギーのギャップの意味するところが当時はパッと理解できず、少し頭を抱えてしまったのが正直なところ。
考えてみて納得感があったのが、彼が“道州制”の推進論者であるという事実です。
道州制については一言でまとめると『都道府県の枠組みを排して新しい(大きな)地域ブロックを形成し、国からブロックに大幅に権限を委譲する』という制度設計ということになるでしょうか。
地方分権を実現するための手段やプロセスのひとつと言っても良いでしょう。
ここから先は私の拙い推論になりますが、増田氏は中央集権体制の限界(=地方分権の必要性)を感じる中で、人口減少がもたらす深刻な状況に対する楽観的な世論に警鐘を鳴らしたかったのではないでしょうか。
決して地方分権=道州制というわけではないのですが、少なくともこのままの統治構造で日本の回復は見込めないだろうと。
だからこそ、意図的に過激でショッキングな見出しで自治体や国民の注目を集め、一定の世論を形成したかったのだと思います。
その是非は次の見出しで論じますが、ここで注目すべきなのは当時、このレポートにまるで呼応するかのように始まった国の地方創生の取り組みです。
政府はいわゆる『増田レポート』が出された後の2014年11月に「まち・ひと・しごと創生法」を成立させ、各自治体に地方版総合戦略の策定を努力義務として求めました。
三浦市のHPの該当部分を見るだけでも、交付金を最大限活用するために、工夫とタイトなスケジュール設定で戦略を策定させた職員の努力が垣間見えます。
こうした流れの“布石と後押し”として増田レポートを捉えると、一民間組織である日本創生会議や今回の人口戦略会議が政府の施策推進のための組織であった(ある)と考えても不自然ではないと思います。
この前提をしっかりと認識した上でレポートを俯瞰する必要があるのではないでしょうか。
“消滅可能性自治体”の設定に意味はあるのか
まず、上でも確認した“消滅可能性自治体”の定義ですが、再確認すると
若年女性人口が 2020 年から 2050 年までの 30 年間で 50%以上減少する自治体
となっています。
非常にシンプルなボーダーで全市町村の比較の手段としては一定の妥当性があるようにも思うのですが、この分析手法については大いに疑問が残ります。
個人的に感じることは以下の3点です。
- 【若年人口女性の減少率50%➡消滅】という論拠の乏しさ(=恣意的な基準であること)
- 消滅がどのような状態なのか明言されていないこと
- 若年女性がこどもを生む前提となっていること
全部についてここで細かく論ずるつもりはないのですが、要はツッコミどころもたくさんある今回のレポート結果に一喜一憂する必要はない(むしろしてはならない)と言いたいのです。
今回出されたレポートでも冒頭に下記のような記述があります。
2014 年の分析結果は各自治体に大きな影響を与えたが、各自治体の人口減少対策は、どちらかと言えば人口流出の是正という「社会減対策」に重点が置かれ過ぎているきらいがある。東京圏への人口流出の防止はともかく、若年人口を近隣自治体間で奪い合うかのような状況も見られる。こうしたゼロサムゲームのような取り組みは、結果として出生率向上に結びつくわけでなく、日本全体の人口減少の基調を変えていく効果は乏しい。
まさに近年の自治体のこども政策を通じてお互いの若年層を奪い合うような構図。
国が自治体にこども政策を丸投げした結果であるともいえるでしょう。
もちろん、自治体ごとに政策に特色があることは、それぞれの地域の自主性を重んじるという意味でむしろ自然なことであると思います。
ただし、それこそ一時的かつ場当たり的な人口の社会増を求めて近隣自治体での過度な獲得競争が行われることは、長期的な視座に立てばデメリットが大きいでしょう。
上の記述でも述べられているように自治体間で若年層を取り合ったところで、出生率自体が向上するわけではないからです。
また、都市部への流出が加速することで全体の出生率が減少するリスクがあるということも重要な視点です。
なぜなら、都市部の方が結婚してこどもを生み育てる上で制約が大きくなるからです。
こちらの記事をご覧いただければよくわかりますが、実は都市部ほど合計特殊出生率が低い傾向にあるのです。
だからこそ、都市一極集中の状況を是正したいという方向性はよくわかります。
しかし国としての普遍的かつ抜本的な財政支出を行わない前提で、補助金をエサにして子育て支援を地方の責任として自治体に押し付けるのはおかしいと思います。
…すこし話が散らかりました。
とにかく、こどもや子育て世帯がどの地域に住んでも幸せに生きられる最低限の基準は、(少なくとも今の統治システムで考えれば)国が保証しなければならない部分だと考えます。
もちろん、一連のレポートにおいて既に確認した増田氏の意図の1つであろう“人口減少がもたらす深刻な状況に対する楽観的な世論に警鐘を鳴らす”という部分については、成功と言えるかもしれません。
ある種のショック療法で、三浦市も含めた自治体がこども政策の拡充に舵を切ったという側面もあるでしょう。
しかし、今回のレポートの表層だけを見て(詳細の確認を行おうともせず)喜んだり落ち込んだりしている国民性を見て、根底にある問題は何一つ変わっていないなと感じるのです。
国民や市民に限らず、日々リアルな問題に立ち向かっているはずの政治家ですら今回の報道に踊らされているような風潮にも違和感を覚えました。
そもそも、逆に今回“消滅可能性自治体”というある種の汚名を免れた自治体の未来は、全てがバラ色なのでしょうか?
我々議員も行政も、これを契機に施策の全体像をあらためて見返し、反省することは必要だと思います。
しかし、逆に今回の結果で一喜一憂しているようでは、日ごろからの施策に対する仮説設定・効果検証が甘い証拠です。
それぞれの自治体はもともと課題を抱えているのであり、今回のレポートの登場によって新しい問題が形成されたわけではないのですから…
ですから決して楽観視して良いと言いたいわけではなく、むしろその逆であるわけです。
今回のレポートによって、地方の問題が人口減少と高齢化だけにフォーカスされてしまうことへの危惧すら抱いています。
産業振興など、行政だけでなく市民が一丸となって本気になって向き合わなければならない問題は、他にも山積しています。
“消滅可能性自治体”などという言葉に一喜一憂していられる余裕はないのです。
結びとして
レポートの分析手法に対して批判的な意見も並べてしまいましたが、考える材料としての価値まで否定するものではありません。
むしろ増田氏が意図しているように、現実を直視し考えることは非常に大切だと思います。
この人口減少社会の中、30年後に社会保障制度やインフラを今と全く同じような形で維持することは不可能でしょう。
その事実を踏まえたうえで、我々はどう歩んでいくべきなのか。
政治家だけでなく、この部分を市民一人ひとりが真剣に考えていく必要があります。
だからこそ、これからは地方の政治がより重要なものになってくると確信しています。
増田氏も提唱している道州制をはじめとした行政区の再編についてですが、大いに議論されるべき部分だと思います。
確かに、現状の都道府県⇔市町村というシンプルな二層化の構造では、それぞれの地域で複雑化した問題は解決できないフェーズに来ていることも確かだからです。
都道府県の役割(特に、核となる都市がない地域において)もあらためて問われなければなりません。
道州制という選択肢が出てきた背景にはこういった経緯もあるわけです。
ただし、道州制のようなパラダイムシフトを単純に“上から与える”ようなプロセスでは、うまくいかないと考えています。
これは地方分権、すなわち国から地方への財源移譲をさらに進める上でも、同じことが言えるでしょう。
重要なのは国民(市民)一人ひとりが自立した状態で地域の未来に責任を持ち、活発に動いていくということです。
明るい未来はこの状態からしか始められないと思い、私は選挙当初から市民協働という言葉を使っていました。
そして国レベルではなく地域(基礎自治体)レベルにおける政治との関わり方が進歩しなければ、状況は好転しません。
青臭く聞こえるかもしれませんが、何度考えてもこの結論に至るのです。
この部分が、私が地方自治に活路を見出した根底にある信念のひとつです。
自分たちの住んでいる地域に対してすら責任が持てない状況で、行政区の範囲を拡大させて状況は好転するのでしょうか?
私はそうは思いません。
以前から、
「やっぱり横須賀市と合併するしかないのかねぇ…」
というお声も多くいただいてきました。
今回の報道を受けて、そういったお声はより多くなった印象です。
どうも“合併を行えば生活が良くなる”という幻想に取り憑かれている方が少なくないように感じます。
私は『有機的な自治体間連携(広域連携)の形についてはさらに強化していくべきだが、こうした主体性のない統合思想はさまざまな意味で危険性をはらんでいる』というスタンスでおります。
ただ、簡単には言うものの、私がここで市民協働の重要性を叫んだところで簡単に状況が変えられるとも思っていません。
では、どうすればいいのか。
私は各自治体の議会の機能を向上させることが、最も現実的で効果的なプロセスだと思っています。
いきなり飛躍した感じが否めないのですが、この部分については壮大なテーマになってしまうのでまたどこかの機会で…
なんだかまとまりのない文章を一気に書きなぐってしまいましたが、冒頭でも述べた通りあまりに多くの方から本件について意見を求められたので、私の考えとともに整理しようと思い立ったのがそもそものきっかけでした。
もっと学術的な見地から精密に分析されている文献もたくさんありますので、もっと深く考えたい方はご自身で調べてみてください。
(その上で、もしよろしければ私と意見交換をさせてください)
いずれにせよ、今回のレポート内容を受けて一般質問のような公の場で行政を問いただすようなことは絶対にしません。
そんな行動からは何も生まれないということがわかっているからです。
ここまで読んでいただいた方ならその真意がわかるかと思います。
今回のテーマについては、これからも議論を重ねながら、もっと自分の中で整理していきたいと思っています。
(本記事の内容も精査していくかもしれません)
引き続き忌憚のないご意見をいただけたら幸いです。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
石﨑遊太