こんにちは。いしざき遊太です。
表題の件、最近よく聞かれるのですがなかなか端的に説明できず、自分の中での整理も含め、ここで振り返ってみようと思います。
少し長くなるかもしれませんが、どうかお付き合いください。
最初に申し上げておくと、私は政治家の親を持つようないわゆる二世三世ではありません。
(遊んで太るという名前を見ればおわかりいただけるかと思いますが…笑)
いきなり表題の核心に入ると、根底にあったのは“怒り”や“憤り”といったある種の負の感情だったと思います。
高校生だった当時、メディアから流れてくる日本の政治家の汚職や不祥事を耳にするたび、なぜこんな人たちに自分の未来が左右されなければならないのかと、怒りのボルテージが最高潮に達していた気がします。
おそらく、当時は持病の治療によるドクターストップで部活に本腰を入れられなかったストレスもあったのでしょう。
とにかくこんな大人たちに任せるくらいなら、自分がやった方が絶対にマシだと心の中で豪語していた記憶があります。
完全に若気の至りですが、今の状況を鑑みると意外とまともな感覚だったともいえるのではないでしょうか。
そもそも政治ってなんだろう。
なにを学べばいいんだろう。
どうやって仕事にするんだろう。
この頃にぼんやりと考えるようになったんだと思います。
またもう一つの要素として、生まれながらの貧富の差(いわゆる格差社会)に対して、小さい頃からなんとなく感じていた理不尽さもありました。
塾に行きたくても行かせてもらえない。
欲しいものがなかなか買ってもらえない。
実際のところ我が家の経済的な状況というよりは、単なる教育方針だったともいえるのですが、親に言われて嫌々塾に行っている友達や、どんどん新しいスポーツグッズを買ってもらえる友達が単純に羨ましいなと感じていたのは事実です。
そういった環境下である種の反骨精神が芽生えたのか、勉強でも運動でも、努力だけは絶対に負けたくないというメンタリティになれたのは幸いでした。
進学したい気持ちがあるのに経済的な理由でそれを諦めたり、新聞配達をしながら勉学に励むような同世代の若者がいることもこの頃に知って、自分が甘いことを言える状況でないことも痛感しました。
でもいずれにせよ、いわゆる教育格差は無い方が健全な社会なはずだよな…
そう強く感じたわけです。
※
念のため確認しますが、資本主義社会における格差自体を否定するつもりはありません。
努力や成果が正当に評価されない社会は、逆に不健全だと思います。(“頑張れない人”への配慮やアプローチは必要)
でもそれは、一人ひとりのスタートラインが同等な(=教育格差が最小化された)状況ではじめて正当性が生まれてくるものではないでしょうか。
どうすればこの理不尽さを解消できるんだろう。
その答えを求めはじめたのも、重要な契機だったように思います。
まとめると政治を学ぼうと思った主なきっかけは
①日本の政治に対する負の感情
②教育格差を是正したいという気持ち
の2点ということになりますでしょうか。
やっぱりなかなか端的に伝えられないですね…
とにかく、そんな大きい志を持ちながら高校生だった私が考えた進路設計は、『大学に進学すること』と『官僚になって国づくりに携わること』でした。
法学部に入るべきなのか?
政治学部のあるところに行くべきなのか?
国立じゃなければだめなんだろうか?
さまざまな葛藤と挫折がありましたが、結果として自分のやりたいことが学べる大学に入ることができました。
大学での学びについては今回の投稿だけでは語りつくせませんし、今の自分にとても大きな影響を与えてくれたので、また次の投稿でじっくり書こうと思います。
なんだかこうやって書くと、すごい堅物で生意気な少年時代に思われても仕方がないですね…
でも紛れもない私の当時の心情なので、誤解をおそれずに書いてみました。
拙い文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。
石﨑遊太
↓病院で持病の手術を控える高校生の頃の私
【政治を志した経緯としてのまとめ追記】
次の記事は大学の話~浪人時代~になります!
コメント
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[…] こんばんは。いしざき遊太です。前回の投稿の最後に大学のことに触れたので、勢いでそのまま書いてしまおうと思います。 […]